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◆そもそも藤堂高虎って誰?



三重県津市の津城内にある高虎の銅像の説明板の文を引用させて頂きました。

藤堂高虎公

弘治2(1556)年、近江国犬上郡藤堂村(のち在士村、現滋賀県甲良町)に生まれた。
15歳の時、浅井氏に仕え、姉川合戦で初陣を飾って以来各地を転戦し、天正4(1576)年21才で長浜城主木下秀長(豊臣秀長)に3百石で召し抱えられ、天正13(1585)年には紀州粉川(和歌山県粉河町)ではじめて1万石の大名となった。
その後豊臣秀吉の下で伊予宇和島(愛媛県宇和島市)7万石となり、2度の朝鮮出兵にも参加した。
秀吉の死後は徳川家康と親しくし、関ヶ原の戦いの時には家康に味方して勝利をおさめ、伊予今治(愛媛県今治市)20万石の大名となった。 そして慶長13(1608)年いまだ大きな勢力を誇る豊臣家を包囲する重要な地の伊勢・伊賀に22万4千石で移され、大坂の役の後に加増され32万3千余石の大大名となった。
また高虎は、築城の第一人者としても名高く自身の居城として築城した板島城(宇和島城)・今治城や津城・伊賀上野城の修築、城下町形成はもちろんのこと、幕府の命で修築を行った聚楽第・膳所城・伏見城・江戸城・篠山城・丹波亀山城・大坂城・二条城と数多く手がけている。 このように高虎の生涯は、戦乱に明け暮れ、また各地を奔走し席の暖まる暇もないものであったが、武将らしさとともに領民への気配りや人の和を大切にした人物であったと伝えられている。

この像は、社団法人津青年会議所創立35周年事業として発案され、藤堂高虎公銅像建立市民会議を組織し、多くの市民の方々の浄財によって津市制施行100周年の年に建立されました。

平成10年10月吉日 津中央ライオンズクラブ 寄贈


引用はここまでです。
お解りいただけたでしょうか?
「わからん!!」という方は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』--藤堂高虎を見てください。
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